東京高等裁判所 昭和33年(う)2187号 判決
被告人 田中正春
〔抄 録〕
所論は要するに、本件は反対方向から進行して来た服部光夫の運転にかかる自動三輪車が被害者に触れ、被害者を顛倒させたため、被告人は急停車の措置をとつたが間に合わず、本件事故を発生させたものであつて、被告人としては不可抗力と云うべきものであるのに、被告人に業務上過失致死の責任があるものとした原判決は証拠によらずして事実を誤認し、法令の適用を誤つた違法があると主張するものである。
しかし原判決挙示の証拠を総合し並びに当審における事実取調の結果によれば、被告人は判示日時判示貨物自動車を運転して豊島区池袋一丁目八百十二番地道路にさしかかつた際、自己の斜右前方約十メートルの道路中央附近に当時七十九年の小田内通敏が、道路を右方に向い横断しようとして一時佇立しているのを認め、同時に更にその前方六、七メートルの個所を道路中央右寄りに反対方向より服部光夫の運転する自動三輪車が接近しており、前記小田内の佇立している地点附近で小田内を挾んで、すれ違う状況にあることを認めたのであるが、当時右場所附近には横断歩道の表示はなく、右車道の幅員は十三メートルもあつて、小田内はこれを被告人の進行方向から見て左側(護国寺方面)から右側(池袋駅方面)に向け横断しようとしその中途まで来たとき、反対方向から来る自動車等の通過を待つため車道中央附近に立ち止るに至つたものと認められる。このような場合にあつては、小田内としては被告人の進行方向から来る自動車等よりむしろ反対側から来る自動車等に気を取られ、極めて近い距離で両方から来る自動車等に挾まれる状態となつた場合にはその挙動に迷い、後退するなどして、被告人の運転する自動車に接触する等不測の事故を惹起するかも知れないことは、容易に予想されるところであるから、自動車運転の業務に従事する者はこのような場合には絶えず前方より進行して来る自動三輪車の運転状況並びに歩行者の動静に注意しつつ、佇立している歩行者との間に十分に間隔を保つてこれを通過しうるよう運転を継続すべき業務上の注意義務があるのに、被告人は従前どおりの時速でそのまま進行し右歩行者と約一メートルの間隔を以て通過しうるものと軽信し、そのまま運転を続けたため、前記反対方向から進行中の自動三輪車を運転していた服部光夫が小田内の二、三メートル前方で後続の車を避けようとしてハンドルを右に切り小田内に接近し、同人に車体の一部を接触させるかまたは、これを避けようとして挙動の自由を失つた小田内を道路中央附近において顛倒させるに及んで、被告人は急停車の措置をとつたが間に合わず、被告人の運転する貨物自動車の右後車輪で小田内の頭部を轢きよつて同人に脳挫滅の傷害を負わせて即死するに至らしめたことが認められるのである。
以上の事実に徴するときは本件事故は一面において、前記服部光夫が小田内の前方直前においてハンドルを右に切り、車体の一部をこれに接触させるかまたはこれを避けようとして挙動の自由を失つた小田内を顛倒させたことに起因するものではあるが、被告人の側においても、道路中央附近に佇立している高齢の小田内を発見し、その地点附近で反対方向から進行する自動三輪車とすれちがう状況であつたのに、前記のように右歩行者の動静並びに自動三輪車の進行状況に注意せず漫然進行を継続した業務上の注意義務違反に因るものであることは明らかであるから、被告人は業務上過失致死の責を免れないものといわなければならない。
原判決の判示するところは、その注意義務の内容においてやや認定を異にするものがあるが、要するに本件事故が被告人の業務上の注意義務の懈怠によるものと認めた点において結局相当であつて、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるものとはいえないから、論旨はすべて理由がない。
(坂井 山本長 荒川)